ゴッホ展で
みなさん、こんばんは。
今日は、東京都美術館で開催中の「ゴッホ展」に足を運びました🤗
▼こちらに紹介記事が💓
暗く天に向かって屹立する糸杉に呼ばれている気がしたのです🥺
今このタイミングで、この黒く深い緑色の糸杉と、
天地を貫くゴッホの精神と対峙する必要を感じたのです。
(▼上記URLから写真を拝借しました)
実際に観に行ってみましたところ・・・
この作品は、45分ぐらい観終わった、最後にやっと出てくる絵です。
この絵を描いた2ヶ月後に、ゴッホはその生を終えたのです。
一体どんな境地か?
その点に注目しながら、わずか10年という、描き始めてから亡くなられるまでの
軌跡を辿っていくと、南仏アルルの療養院に入ったあたりから、凄みが増してきて・・・😭
胸がざわつきました。
アルルのその場所には私も一度足を運んだことがあります。
本当に世界が黄色く眩しく美しかったことは、ゴッホの絵の通りです。
けれども、木ってこんなに濃い色をしていたっけ???
ゴッホの目にはそう見えたわけです。
他の作品で、レモンを土色の混じったオレンジ色で描いているものがありました。
『レモンの籠と瓶』
コレクターであるヘレーネの美術の先生は、「天国の色」と称したようなのですが・・・
確かにそれはもう、この世にいない人の境地だと、私も感じます。
ゴッホ自身は「色彩の実験」とのことのようなのですが・・・。
そしてアルルに入ってからの強烈な描写は、燃え上がる魂そのものであり
精神のギリギリにまで煮詰まっていたように、私には感じられるのです。
兎にも角にも、激しい。
残念ながら、私はその様を前にして、狂おしい程に胸が締め付けられるように痛くなり
長々と凝視することを保てませんでした。
この衝撃の謎を紐解きたくて、解説本を買いました。
収集家のへレーネさんも命懸け、人生を懸けて、作品をあれこれ集められたようなのですが
(悲願の美術館建立の翌年に他界されている)
購入の決め手の一つに「高い精神性」というキーワードが、
色々な作品に対して散見されました。
納得ではあります。
精神のギリギリまで、向き合い倒して、通じていく高い精神性に
なぜ人はこうも魅了されるのか?
私の考えでは
誰もの中にある高い精神性、はたまたゴッホの場合は、心の闇に通じる何か、
それを誰もが無意識に知っているのだけれども、顕在化できずにいるところを
卓越したチャネラーたるアーティストの手法によって、あいまみえる時
魂の奥深いどこかが癒されるのを感じるからだと思うのです。
この領域に至るための手法の一つとして、、
「ああ、やっぱりそうだよね」と確信を得たのは
ゴッホ自身
「自然を描くとき、時間をかけて観察すること、
実際に長い時間その場にいることが必要だ」
と述べているのだそうです。(解説本より)
これは私の考えるカウンセリングおよびセラピーの技術も同様でして
私は「とどまる」という言い方をします。
それも可能な限り、細やかな領域にとどまることができるように支援することで
深い自己一体感を得て、生きる力を磨くことになります。
私の信念としては、人も自然の一部であるからして
生きづらくなる理由が生まれるのは、
己(おのれ)にとどまれなくなっているときです。
裏を返せば、生きやすさを覚えるときとは、
己(おのれ)のあるがままにしっかりととどまることができている状態であるときです。
だからこそ、「おのれのあるがままを知ること」は大変に重要です。
「おのれ」の姿が、意思や自我が想像しているのと
大きく異なるケースはよくあることだからです。
もちろん、想像通りの自分というのもありますが、そうじゃない部分というのも多分にあって
その「そうじゃない部分」にもしっかりととどまることができるようになると
トラブルは鎮静化し、生きやすさが増していくわけです。
そのためにも、ゴッホがいうように
「時間をかけて観察すること」が大切です。
自分自身を、自分自身に発生しがちなパターンを。
その際、本当のところを言いますと、
執着やこだわりや恐れはいらないのですよね。
(三次元的、合理的、防衛は理性的に重要ですが。手洗いうがいマスク😁)
私も長年ハマってましたが、
よく耳にするのは「お金の恐れ」でしょうか。
それこそ長年、自然を観察してきた立場として確信していることがあります。
それは、理屈を超えて、我々は自己にとどまることができさえすれば
全てはなるように回っていき、ちゃんと天命のために
生かされていくということです。
頭でっかち、理屈での計算しすぎ、にはくれぐれも御用心です。
最も信頼に足るのは、内なる声、無意識の発露。
それこそが自然の豊かさです。
ゴッホは弟テオが仕送りをしてくれたんですよねー。
そして、亡き後、世に送り出してくれたわけですが、、、
もうちょっと生きていてくれたら、どうなったんだろう?
という気もします😢
晩年の絵というのもみてみたかったです。
でもこの激しさじゃ、やっぱり厳しいか・・・。
ご本人のアンバランスさの全てを投げ打って、後世の人の魂のために遺してださったこと、
これまた感謝でしかありません。
おかげ様で私はもう一歩、自己の深みに留まる力を
鍛えさせてもらったような気がするのです😭
実は今日は、アニエスべーが撮り下ろしたヴェルサイユで
羽を休める白鳥のフォトプリントが施されたワンピースを着ていきました🍀
ヴェルサイユはパリですが😅 一応、フランス繋がりで🤗
ゴッホが今の時代を観たら、どう思うんだろう?
写真とかもいっぱい触りたくなったのかな?
ランチは、上野駅のアフタヌーンティールームで。
栗と鶏肉とほうれん草の五穀米ドリア。カボチャサラダと
キャロットラペと。アイスティー付き。
夕飯は、野菜スープを作りました😆
マッシュルーム、パプリカ、ズッキーニ、キャベツ、玉ねぎ、さつまいも、ショートパスタ、ニンニク・・・。
いつもと違うのは、にんじんがなかったので、レンコンにしてみました。
秋の根菜。プラス、豊水梨、サラダ菜、プチトマト。
畑の恵みばっかりです。
新鮮なお味に、ありがたい、ありがたい。
今日は、このほかは
帰宅後、頭痛と肩こりをほぐしに、汐留のラフィネにも行きまして
北に南にと、トータル12379歩も😘
そして夜の部と。。
疲れたわけですー。
今日も最後までごらんいただきありがとうございます🙇♀️
皆様もたっぷりと睡眠を貪られますように🍀
素敵な夜の夢見となりますように✨
おやすみなさい〜😴👋
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