愛は・・・
みなさん、こんばんは。
この数日の流れから
こころの核にあるものが「詩人」であることが
見つかったので
きょうは「詩人に心を合わせて生きる暮らし方」を
整えました。
スポーツジムに入る案も浮上していたのですが
私の場合、物思いは、
自分のお城(空間)にとどまり、
ときどき近所を散歩するぐらいがちょうどいいと結論づきました。
あまり出歩くと、スタミナがきれて、
物思いからブレてしまうのです。
私の場合、体が弱いので
自炊と運動を大事にした生活が最優先項目。
家で運動するのがいちばん小回りがきくので
ついに、1〜2年も悩み抜いた、リングフィットアドベンチャーを購入しました🤗
ちょこっとだけやってみたのですが
上腕の筋肉がとても疲れます😅
(どれだけ弱っていることか!)
筋力アップを頑張ります💪
しかし・・・昨日から読み始めました
ナ・テジュさんの詩集。
2冊目『愛だけが残る』のほうが、私にとってよっみにくいことに気づきました。▼
愛の詩だらけだからですが。。。
嫉妬ですね。
こんな風に私は愛されたことがないなー・・・という劣等感!?
この本の冒頭にも述べてありますが
「人は自分が愛した人よりも、自分を愛してくれた人を、より長く、より美しく記憶しつづける」とのことで。
ですから、私を愛してくれた人の顔が
母以外に浮かばない悲しさなのよ・・・。
それゆえ、ナ・テジュさんは
「愛を伝えろ」と強調しますし
私も、昔まではそう思っていたのですが・・・
ナ・テジュさんは
関係性における縁と運があったのねーというのが
私の今の考察。
私の場合、今だったら、
たとえ愛されなくても、
名も顔も知らなくても
地球のどこかで待っているかもしれない
誰かのためにできる最小で最大を
見つけて、あるがままを愛でよう、という
落とし所。
関係性も結局、ご縁とタイミングの問題で
風のささやきみたいなものですから〜🍀
愛だ、愛だというと
ひとは他者愛をすぐに思い浮かべるでしょうし
生物的にも、その問題は、人類の普遍的なテーマですが
本質的には、それは人生のオプションであり
どこまでいっても、人としての
大事なはじめの一歩は
「自分をどれだけ大切に生きているか」です。
それが中途半端なままだと
置き換え現象として、
誰かを愛する気持ちが湧き上がりますが
そのような関係性は
片方が無意識に疲れちゃうし、
つきつめればそれだって、運と縁と
風の気分でしかない。
だから、いろんなことはあまり考えすぎずに。
たとえば
「私は今、ナ・テジュさんの得た関係性に
嫉妬をしているけど、
私には私にしか体験できない愛の世界がある」
というありのままがあることだけは確かで
そのことそのものを楽しんで
胸を張って生きていきたいと思います😤
だから何?
と、それ以上の解釈は要らないのです。
というわけで、さいごは
私のうんちくになってしまいましたが😉
ひとしきり気持ちをはきだしたところで
引き続き、ナ・テジュさんの
素敵なラブワールドをのぞいて、お休みしたいと思います。
ごきげんよう👋
よく寝てくださいね🍀
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