近くにあると見えない、大切なもの
失って初めてわかる大切さ、という話はよく耳にしますが
似たようなこと。
近くにあると見えない、大切なもの。
朝、ふとTODOリスト用になってくれる未使用ノートがないかと
引き出しの中をゴソゴソ探しておりました。
「そうそう、このお財布、使いたかったのよね」と登場したのは
7年前に母がお誕生日に奮発して購入してくれたルイヴィトンの小さいお財布💗
母はレモン色を自分用に買い、「二人で、お揃いだ🍀」と喜んだもの。
肝心の丁度いいノートが奥の方から出てきました。母が新宿伊勢丹で
「あなたっぽいから買ってあげる」と半ば押し付けるような勢いで買ってくれたもの💗
「そういえば、あの時のお母さんは、やたらお金周りよく買ってくれたなー」と思い出された次の瞬間
ジョーっと涙。気づいたのです、大事なことに。
母は、実は間接的に私のことを、大好きと一生懸命に表現していたのだ!と😭
当たり前に聞こえますか?
母親じゃん、って?
大事に思っていなきゃ、物なんて買わないよ、って?
私の世界観の問題があるのです。
私は子供の頃から、母に「言葉」を求めていたのです。
しかしながら一度も、母から「かわいいね」とか「好きだよ」と言われたことがなかったのです。
今だからわかるのは、母は言葉よりも間接的に表現する性質であり、それが最大の人間である、ということ。
一方、言葉と言えばいつも「心配だ」「お前は馬鹿だ」「危ない」などの暴力的なものばかりで。
被害妄想の強い性質も手伝って、「母は私を好きじゃない」という
妙な世界観に落とし込まれやすい、私なのでした😢
母、大好きっこの、精神未発達児に、この世界観はきつい😭
私は、人にものを買ってもらうのも、好きなくせに
なぜに、ものよりも、言葉にこだわっちゃう性質なんでしょうね???苦笑😅
まあ、しょうがない。
そのプロセスがあったから、今このタイミングで、
ことのありがたさを発見できただけでも、尊いと感謝です。
このことに気づけたのも
贈り物をもらった当時ではなく
7年の月日を経て、すでに母が病人となってしまったことが大きいのも因果なものよ😭
以前のように、元気に会うことができなくなってしまったのです😢
ふらふらの軽い体で飛ばされないように歩くのもやっとになってしまっていて😭
なかなか会うことができないことになって初めて、よ〜く見えてきた、
目に見えない大切なものなのでした🌈
かなしいサガ。。。
みなさんも、似たような経験はありませんか?
相手に愛情のあるなしを感知するポイントに、ズレがあるせいで
「愛されていないのか?」と誤解してしまったこと・・・。
自分と相手が一緒だと思ってはいけません、私のように(^◇^;)
人それぞれに「どのように接することが愛情か」というのも
マチマチであることを
常に忘れないでいたいものです🍀
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