持ち堪えられず

人生でキツい思いを何度も繰り返してきたけど

風に吹き飛ばされそうな

ヨレヨレのカカシのような気持ちに耐えられず。

書かずには、次に進めない。

下手すると私も体を壊す。このところ膵臓のあたりが痛いのが気になるから

なるべく、無我の心で乗り越えようと

踏ん張っているのだけど。


午前中のMTG中に

普段かけてくることのない父親から電話が鳴って出ると

母が案の定私に嘘をついていたことが判明した。


「ステージはなに?」とメールで質問した時

すぐに回答しなかった。

ほかの話に逸らそうとしたから

もう一度

「ステージは何?」と聞いたら

「ステージ1」としばらく間があってからきた。


怪しい。嘘ではないかとは咄嗟に思った。

とりあえず2回の手術を終えて(1回目は人工肛門、その10日後に、大腸癌の摘出)

どうにか、おもゆと点滴で、私と朝メールをやりとりするようになったので

私も気持ちが落ち着いていたのだけど。


父の電話を取ると

「あんなにひどく大きなガンをなんで放置していたか」

と話し始めたのだ。

ああああ。

ステージ1なんかじゃやっぱりなかったか。


瀕死、絶体絶命。


そして、母と私は共時性だから。


私も同じようなスレスレを生きていることは感じている。

余計にダメージは大きい。

「ママに楽をさせてあげたいという私の夢を叶えるために

ママは元気でいる必要がある」

と伝えたら

「ありがとう、ありがとう、ありがとう😭」と返してきた。


その前の日、手術の2日目に、

ガスが出ないのをいよいよ心配になって

私に遺言を語るため、電話してきたのだった。

気持ちが弱っていたからこそ、

余計に、生きる目的を伝えられて、嬉しかったのだとは思うが。。。



しかし、弱気になってはいけない。

言い聞かせる。

手術の成功は、強気の方の方が確率が高く

認知症の方の方が確率は低い、という

お医者さんの言葉を思い出す。


これは全てのことに言えると思う。

何くそ、負けるもんか、という強気の大切さ。

同時に、身の程を告げられている出来事でもあるのかもしれないとも考える。

第一、母はあの体で実家に戻って、どうやって生きていくというのだろう?

デクノボウで相性の悪い父親の住む家に戻って。

私が実家に戻った方がいいかどうか、高尾の小川先生に問うたら

母の場合は「一人で気丈に戦うことが生命力を引き出す」と告げられた。

それもわからないでもない。



もう何が何だかわからない。

一人で生きている

寂しさがこれほどまでのことかとは。

どうすれば、母を楽にさせてあげられるのだろう。

自分の因縁が悲しい。


それでもせめて・・・私はいつまでも

「母は大丈夫、よくなる」と信じるし、念じている。


父親に折り返し電話をしても出なくなってしまった。

今年、そして特に今月、父も変な気が巡っている。

過去最大に気が弱っている暗示なのだ。

何もかもが津波のように私に押し寄せているように感じる。

津波なら、逃げなければいけない。

どこへ?






洒落たことは何もない幸福

淡々とすぎる毎日の中にあるたくさんの恵み。それを感じつづけることのできる人でいたい。

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