母のこと

またも、辛さ200%、
読んでくださっている方、ご心配されましたら申し訳がありません。
ご心配されるでありましょうが、まあ、その、ありのままに・・・。
読み苦しければ、どうぞスルーしていただいて。

胸の中に混沌が詰まっていると
エネルギーは本人の中で停滞して
時間も止まってしまいます。

私は自分を動かしていかなくてはいけないので
停滞しているわけにもいかず
個人的なことについて
エネルギーの吐き出し口として、このブログが受け皿となっているため
ただただもう、綴るのです。

今朝、母からメッセージが入りました。
「腸閉塞になっている」
「てんてきにもどった」
と。
今日の日は「丑」でして
私も母も今ここの立場に「未」を持っているため
二人でプロセスが「冲」現象という、180度分裂クラッシュを起こす日であることを
知っていました。
昨晩、明日、何もないといいなと思っていたのですが
案の定、朝からこの展開で😭
貧血状態です。ふらふら。

28日に人工肛門をつけて
8日にガンをとるために大腸切除
80歳前のご老体が2回もお腹を切っているのです😭
そのことだけでも私には可哀想すぎて辛いのですが

微細な自然の気の変化に対し
内臓が見事に反応している体を思うと
いかに弱っていることか😭

このことは5年前、私の正月に
父と母に伝えたのです。
「今年から母は分裂が始まるから、
パパとママは離れて暮らした方がいい」と。
「そうしないとママの肉体に出るから、死ぬ方に至るから」と。
もう一つの背景として
父の側に「離別」の大きな運が回っていたからです。
明らかに、父といると、母は、あの世に飛ばされる流れに入る。
父が家を出る気がなければ
母の側が、どこか別の土地に動いた方がいい、というのが
私の計算・見たてでした。

しかし当然、父親は怒り出すわけです。何を言っているんだと。
父は私の技量を信じていませんから。
母は、私と同じように知識を持っていますが
私ほどには、その「動的エネルギー」を理解していないのでしょう。
トライはしようとしたけども
最終的にどうしても父と別れられずで。
父が頑固すぎて、母のエネルギーが吸われるのです。
その様子を見ていた私は
「これはあかんわ」、もはや
母はこの父と結婚したことが全ての運を左右したんだろうという結論で
それも母の寿命と私は受け入れることにしたのでした。
それでも母は
家庭裁判所まで、脳梗塞の体でタクシーに乗って出かけて
離婚の手続きについて話を聞きに行ったのです。
しかし実際の手続きの大変さを思って、母は断念。
しかし、その時、精神的に父と離縁することができたのでした。
父へのこだわりを捨てたのです。
もちろん、はなから、変わることのない人間に変わってもらいたい、なんであいつはああなんだと
50年近く文句を言い続ける母も問題なのですから、因果応報かもしれません。

なんで、こんなことになったんだ。
そういう事情の時に
私に、母をひょいと移動させられるだけの
財力や資産があったら違ったかもしれません。

それも私のお金のカルマなのでしょう。

私の夢は
母を笑顔にさせたいこと
母に楽をさせてあげること
母の現実的に自慢の娘になること

その想いだけで何十年と走ってきました。
しかし、私の因果の問題か
そういう子供を産むのが母の因縁なのか
ちっとも安定しないのです。
そういう波動が私の奥から湧いてこないのです。
そのおかしさ、不思議さの精査のために、
古代東洋思想の元型を調べ上げたほどです。

しかたがない。
どうしようもない。

全てはその言葉に集約されますが。

ただ溢れる哀しみが、止まらないのです。
無念というか。

もちろん、まだわかりません。
明日、明後日にはまた回復し始めるかもしれません。
そのためにも、私はこの心の澱をここにおろして

ひたすら、母の容体安定化の祈りを続けるだけです。

しかし、昨日の夜気付いたのですが
私は、少し自暴自棄的な行動に走っていたことに気がついたのです。
本当に無意識なのですが。

10年の切り替わりが今年から始まり
おまけに120もの自然エネルギーの組み合わせの中で
最大に「死」(精神的にも肉体的にも)に接近(あるいは陥る)
1年を昨年迎えたのです。
10年運の切り替わりというだけでただでさえその数年は
動乱期、そこへ、「死」の1年が加わったことで
私は剣もほろろ。
経済の流れが脳梗塞を起こしたのです。
その回復に努めて、乗り越えるのだと言い聞かせながら
ありとあらゆる種まきに奔走し続けているのですが
朝に晩に、オンライン人海術、夜中の3時まで、そして朝の7時から。
日中は、制作物の作業に、サロンのクライアントや、外交。
くるくるくるくるーっと
何かネジが飛んでしまったように、おかしくなったのです。

そして、ふと。
「無意識にある深い哀しみが、私をいっぱい働かせようとしている」のではないかと
立ち止まったのです。
深い哀しみは、上述してきたような、無念さです。
しかしそんなことをして、
体を傷つけるような労働を重ねて
仮に広がりが生まれても
私のダメージが大きければ、元も子もなく。
経済の流れの回復といっても、焦って土台が崩れては元も子もない。
体が資本。
改めて、着実な回復(リハビリ)を進もう、と思い直した途端、

朝の、母からのメッセージで、ステートが崩落です😭

アキレス腱すぎますよね。。。

私にとって母とは本当に心の支えとして
生まれてからこのかたずっと過ごしてきたのです。
理解されない悲しみに傷ついた幼少から青年期も含めて。
どれほど私を理解できなかったとしても
母の価値観をゴリ押ししてきて、それによって
私の自我が崩壊したプロセスがあったとしても
単に、娘を想う気持ちの強さからです。
そんなに想ってくれる存在が、
この世に一体どれだけあるでしょうか?

肉体を失っても、魂は永遠ですが
私はその母に現実で報いたいのです。

しかしそれも私の欲なのでしょうかね?
そう思って、自分を諌めるのですが。

母の記憶の中で二つのシーンが輝いているようです。
「赤坂のBizタワーに、キャスキッドソンのお洋服を着て入ってくる姿が本当に可愛かった」
ということ
「日本橋に部屋を持っていた時、高島屋の車寄せ前の腰掛け椅子で、大きな桜の木の間を通って
娘が歩いてくるのを待っている時の、ザ・日本的豊かな光景」
と。

この2つだけでも十分に、母は恵まれたとも、言えると思います。
しかし、私の胸のどこかが無性に切ないのです。

それでも、私の中の高次元の存在は
「ママは大丈夫」と言い続けています。
信仰のようなものなのかどうかは私には識別できませんが
真実であることを祈るばかりなのです。

それでも私は感謝したいと思います。
このような気持ちに気づかせてくれる出来事を与えられたことに。
人生の彩りとして、心の豊かさを引き出してくれていることに。

どこまでも私の開運は
「目に見えないものを追いかけること」にあるのだと
受け入れています。
裏を返すと
「目に見えるものを追いかけると運が落ちる」わけなので。

ひたすら感謝の祈りを
天に向けたいと思います。

輪廻を感じる時だからこそ
数奇なご縁の中、頼りにしてくださる方々の
ありがたさを
いつも以上にも、感じます。

吐露を最後までご覧いただきありがとうございます。
自然に導かれ、自然とともにあることができますように。

洒落たことは何もない幸福

淡々とすぎる毎日の中にあるたくさんの恵み。それを感じつづけることのできる人でいたい。

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