誰のせいでもなく

人間の因縁は、凄まじい。
しかし、人生がうまくいっているかのように見える人は
謙虚さを意識していないと
傲慢さが加速化されて、人格が落ちる。

人生の終わりになって
ひどい(最悪な)ケースもたまに耳にする。

本人には言い分があるとは思われるが
その類は、懺悔を通じて消化してほしいところで


自分の因縁を引き受けられずに
他者に当たり散らして(相手のせいにして)、
依存し(ブルサがっ)ている人間は
少なくないのだろう。

依存することが悪いとは思わないけれど
(心理の発達過程では、依存も重要とする考えは大事にされている)

自分の因縁を自分で引き受けられない姿というのは
「かたはらいたい」。古語はいいね、ちょうどいい表現だ。

しかし、こういう表現ができるのは
私が「因縁の形」を学んで知っているからで

知らなければ、当人たちはわけがわからず、自分勝手に生きているだけで。
こわいこわい。

私は自分の因縁の形を知っているので
それがいかに変であるかも知っているし
だからこそ、天と地のタイミングが許さない限り
得られないものが何であるのかも知っている。
誰のせいでもない。
私の因縁のせいなのだ。全部。


だから
粛々と
与えられた命の向かう方に
時を刻む。

自分を引き受けて、
自分で自分を活かすことに集中する。

これが一番の本質的答え。

今日も感謝して頑張りましょー💪










洒落たことは何もない幸福

淡々とすぎる毎日の中にあるたくさんの恵み。それを感じつづけることのできる人でいたい。

0コメント

  • 1000 / 1000