自己世界を深める
クライアントさんの特質を観察するたびに
自分を知らされる。
自己分析は完璧なまでに詰めている自負はあるものの
それでも、鏡を見ると、「あ、こうだな」と確信が進むように
クライアントさんは、似た傾向をお抱えの方がお越しくださるので
その発言を耳にするたび、「うーん、そうよねー」と噛みしめさせられる。
昨日も二次テーマにおいて「回避依存系」という話題が上がって
「あっちゃー」となって、トホホ。
私は自分が厄介だと思うのは、(それも宿命の因果の通りなのだけど)
自分に与えられているプロセスが、自分の前進しようとするプロセスの180度反対であるために
外の人から見て、全く私が与えられている状態を欲していないでなっているとは、想像がつきづらい。
この現象は、物心ついた中学生の時から、あれ?と思っていた。
欲している方向に、現実が進まない、体が望みもしない方向に手を出していく。異常、異様。
大学受験もそうだった。
大学入ってからのサークル選びもそうだった。
大学2年の時の学科選びもそうだった。
就職活動もそうだった。
結婚もそうだった。
望む方向に、体が向かない。
最初は「自己不信」「自信がないせいで易いところで手を打っているのか?」と
「心の問題」と考えた。
ゆえに心理カウンセリングを猛然と受け続けて
たっぷり「自己肯定感」を高めたが、拭い去れないのが、この問題だった。
「回避依存」は「心の問題」といえるが・・・
私のは、違う。「宿命の骨格」からして「本願回避型」だったのだ😭
宿命の逃れられない骨格を調べて判明したことだった。
「これをうまく活用せよ」いうのが宇宙からの命題なのだ。
クレイジーよ。
自分の発想があてにならない。
発想したことは、「そりゃあてにならん」と即手放す戦略を習慣にしないと、気が狂う。
それでも、湧いてくる発想は使い物にならないという方程式でいくと、
意識に待ち受けるのは「鬱状態」。思考ストップ。そりゃそーよね。
「用をなさないよ、オタクの願望は」とレッテルだもん。
仕方がないから、いじけてこうして、ここにつらつらと整理整頓するぐらいしかできない。
現実は「風まかせ」。
時折アイディアが降ってきて取り組むけど「どうせダメなんでしょ」と心しておかないと
「自然が与えようとしないところ」をやりすぎて、体が故障する。
こんな意識構造の人間、実家でおとなしく生活してたいし、普通の方ならそう選択するかもしれない。
ところが・・・
実家に変えればそれはそれで地獄が待っている。
両親とは離れていれば、想念のキャッチボール程度において、なかよしできますが
現実に関わり始めると、喧嘩しかない。
高血圧で病気持ちの親を進んで、死に追いやることになるのは目に見えている。
それは憚られるので、外に出ている。
結局、私の人生の7割は、親との闘争を中心として、選択肢が展開されておしまいというイメージだ。
小学生の時に、親に精神的に殺されるから早く家に出なくちゃ、と出たのに
上述したように「発想したことが現実にならない」という性分。
家を出たから、まとまる話じゃなかった。
家は出ながらも、親との相関関係のために戦い続ける、自分のためというよりは、という落とし所っぽいのだ。
誰でもそういうところはあるかな?
親が子供に無心する流れの人もいることを思えば
うちはそうではないから、まだいいかな。
・・・と感謝しつつ、「発想したことを脇にやりながら」
直感したことだけ、落ち穂拾いのように、積み木のように、組み立て、今があって。
どうやらそれが「宇宙が望んでいる私の場所」っぽい。
昨日も、近所に新しくできた女性オーナーのマッサージサロンの
仕事の仕方をオンラインで観察してたんだけど
わかりやすいし、いい感じでやってるから、
2年で人気店になってて、「いいなー」と妬みが発生😅
「いやいや、違うから、自分の形は違うから」と何度も言い聞かせて
精神をコントロールするのに疲れました。
裏を返せば、「鬱々としながら、つらつら雑記を書きながら、どうにか回してあげるよ」というのが、
宇宙のお達しなのであれば、「お前さん、恵まれているんだよ」とも言えます。
さらにややこしいのは、私の精神の基本形が「物書き」であることも関係している。
しかも「物書き」なのに30年も心と体(現実)が不一致、
という流れの中を進まさせられているのも、みょうちきりん。
思うように「頭が考える物書き」としても進まない。
くらーく、くらーく、整理整頓。
その中から、書き物を続ける。
これが私に許されている戦略と受け入れよう。
今までも無意識にそんな感じではあったけど、
さらにますます、そうしよう。
棚卸したいことはいっぱいある。
これはもう「発想」というよりも「落ちてくるもの」というイメージ。
これこそが「西洋錬金術師」が言った「神の治療薬」というやつっぽいと
自分的には判断している。
私という存在は私であって私ではない。
そんな感じでいい、と方程式上、紐解けているのだから、
自信を持って、ぽちぽちと進んでいこう。焦らず。ゆっくり。着実に。
👆このへん、ほとんど自分に言い聞かせています😅
けども、これって私だけじゃなくて、
この手のタイプは、広い世界にはそれなりにいらっしゃって
その方々も、私と同じように「はて?」と頭を悩ませていらっしゃる。
そういう方たちの道案内人としては役に立つ話ではある。
今日は、久しぶりに「何もしないおやすみ」の日になります。
「仕事枠」というより「ぶらぶら枠」です。
お気に入りホテルのラウンジに行くか、
指輪を観に行くか。
適当にしながら、自然と湧き上がってくる
物思いの整理整頓分類タイムになりそうな予感🍀
食事は、今の所、3食自炊コースが気に入っている。
昨日は、一昨日の夜の残り物、鮭の照り焼きと焼きポテト添えにほうれん草、
ブロッコリーのチーズ焼き、椎茸とわかめと油揚げのお味噌汁に玄米。
夕飯は、キャベツと豚肉・にんじん・玉ねぎの重ねチーズ焼きと、もずくときゅうりの和物、
アスパラとわかめと油揚げのお味噌汁に、イチゴと玄米。
お食事をいただけていることに、心から感謝です。
自分に与えられている世界に、心から感謝です。
今日も一歩一歩、頑張りましょー💪🍀
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